今月の書評(婚活編)

見切りの早い_

「見切りの早い女。すぐにあきらめる男」の書評(その2)


副題:出会い難民症候群の時代
著者:水野 真由美さん

前回の、「その1」の続きです。

 

「自然な出逢い」を求める独身者は大変多いものです。

みんなどういう訳か、「自然な出逢い」へのこだわりが大きく、ネットなどを利用した出会いは、人為的な出会いで自然じゃない、と位置づけて、人に知られないように参加したり、結婚相談所などに対しても拒否反応を示す人が多いのです。

著者自身が出会いを提供しているサービスをしていることもあり、宣伝文句であると思える一方、婚活ビジネスに携わっていると、「そんな出会いのカタチなんて些細な事にこだわっても仕方ないのでは!?それよりも最終的によい人に巡り合うかどうかの方が大切なのでは!?」というのは、納得できる意見です。

出会い方によって、相手の価値が下がったり上がったりする訳でもなし。。

 

そもそも口癖のように「出会いが無い」と言っているのに、「自然発生的な出会い、且つ高い理想は譲れない」という独身者を見ると、首をかしげてしまうものです。

もちろん、その根底には「そういったサービスを利用しないと結婚相手一人見つけられない」と思われる恥ずかしさが文化的背景にあるのは分かります。

でも、我々のお爺さん・お婆さん世代ではお見合いが中心であり、恋愛結婚が主流となってから、まださほど年月は経っていないのです。

世界に出ると分かりますが、なんだかんだ言っても、日本人は本質的にシャイなのです。

それが文化的にも良しとされている部分もあり、言ってみれば、日本人は恋愛に不向きな人が多いのですね。

そんな人達が、「自然な出逢いでないとダメ!」と言っていれば、それは自然と生涯未婚率も上がるというものです。

どこかで「感情」と「理性」を戦わせる必要が出てくるでしょう。

 

 

著者としては、もう一つ、付け加えたいことがあるようです。

それは、著者のようなビジネスは、あくまでも「出会いのきっかけ」を提供しているにすぎず、それ以上でもそれ以下でもないということです。

ある場所に、ある属性の人を集めるまでが彼女達の仕事ですが、そこから先は参加者本人次第なのです。

イベントに参加しさえすれば・・・、結婚相談所に登録しさえすれば・・・というのは、完全に幻想だと斬り捨てます。

ひな鳥の如く、口をあけて餌を待っていればいいという訳ではないのです。

どんな出会いであれ、最終的にはその人の人間性が問われるのです。

 

 

話は進み、こういった婚活本には、筆者が見てきた様々な人間模様が描かれています。

それにしても、思った以上に「世の中、変わった人がいるもんだな」という話が沢山出てきます(苦笑)

特に妙齢を過ぎても結婚していない人というのは、癖が強い人が多いのかもしれませんね。

普段、仕事という接点だけでの人であれば、適度な距離を保ち、あまり相手の素性自体に興味を持たないと思います。

なので、さほど驚くようなことは少ないのかもしれません。

しかし、結婚対象として、一緒に暮らしていける相手かどうか?を考えながら接していると、驚くような一面を目にすることがあるものです。

日本は、ほぼ単一民族なので、それほど理解に苦しむような価値観の相違は少なそうですが、案外そうでもないことに気づきます(苦笑)

生まれも育ちも違う二人が、同じ屋根の下で長年暮していくというのは、かなり相性が良くないと無理なのではないでしょうか!?

特に現代においては。。。

 

その3に続く。。